――本日営業/「超非モ理論」と「逃避エネルギー」に関する一例

 タイトルを正しい位置に書くようにします(いつもかはわからね)。下のが軽いかも。

 ということで、ほとんど知らない/分からないので、夜中に見ていた。いくつかのキーワードが、自分にも覚えのあるものだったので、二つほど、書いてみよう、と思う。まずはそれぞれの引用から。

意味:
非モテ」理論の一つ。
 相手の意見の背後にある意図や立場を考慮することなく、単一の局面を限定・拡大してとらえ、自らが想定した仮想言説をのみ対象として論理を展開すること。また、その理論。
 また、モヒカン論理によってこの超非モ理論を分析・解読することは不可能であることが既に証明されている。これを「カノッセの不確定性原理」と呼ぶ。
 逆に、モヒカン論理が適用できた場合、その理論は超非モ理論ではないといえる。これを「ハンドアックス効果」と呼ぶ。


 超非モ理論における有名な命題は、「真の○○など存在しない」というものである。


解説:
 あまりに難解で晦渋な超非モ理論は、「非モテ」をテーマに扱う言及者ですら理解することが困難であるとされる。
 あるいは、超非モ理論自体にも先の命題が適用されると考えた場合、超非モ理論に「真の理解など存在しない」という、超非モパラドックスが発生している可能性もある。

 やらなくてはいけないことがあるにも関わらず、「人は別のことをついやってしまうと、そっちの方がはかどってしまうのはなぜか」・・・そこには逃避エネルギーと呼べる何らかのエネルギーが何らかの形で人間に影響を与えているのではないか・・・という某ゲームに登場する学生が辿り着いた理論。
 しかしこれを論文にまとめようとすると逃避エネルギーがはたらいてしまうためなかなか論文にまとめられないのであった。

 つまり、前者は、「Lennard-Jones ポテンシャルにみるツンデレ」のことだと思う。後者もよく分かる。


 両者を踏まえ、さらに、書こう。


超非モ理論」は、簡単に言うと、個人個人の自分勝手な表現、解釈、ということだろう。となると、全てがこれにあてはまり、数多ある理論も、最初は、これに当てはまることになる。
 誰かが何かに対して理論を構築した場合、その時点ではその人(提唱者)しか理解しておらず(それさえ確実ではない)、検証することで、万人に受け入れられるかもしれないし、受けいれられないかもしれない。受け入れられない場合=超非モ理論、となり、受け入れられた場合=モヒカン論理(簡単に調べたけれどよく分からず。これはキーワードではないみたいだし、上記の文もよく分からず)が適用できた場合≠超非モ理論(「ハンドアックス効果」(こちらもよく分からず))、となる。


 一番分かりやすい例として、天動説と地動説が挙げられるだろう。昔は、みんな、天動説を支持し(信じ)、地動説は支持されていなかった(信じられていなかった)。つまり、非モテ、である。

非モテ」における「モテ」とは複数の異性から恋愛対象として求められることではなく、もっと原始的な、他者(異性だけではなく)から求められるという意味である。他者による承認が得られないという悩みなのだ。

 しかし、現在では、地動説が支持され(信じられ)、もはや、地動説は超非モ理論ではなくなった。
 このように、超非モ理論が、万物の理論であることは、難くない(=超非モ理論)。


 超非モ理論における有名な命題は、「真の○○など存在しない」というもので、解説に、超非モ理論に「真の理解など存在しない」という、超非モパラドックスが発生している可能性もある、とある。
 例えば、あるトリック(ミステリやらマジックやら)を考えた方がいる。最初は、その方の頭の中だけ、その方だけが知るものであるが(この時点では、超非モ理論)、それを発表した場合、ある程度は理解できる方、そして詳細まで理解できる方がいるだろう。そうするとそれは、超非モ理論ではない、ということになる。しかし、トリックを考えた方が、完璧な答えを呈する、とは限らないし、理解はできても納得はできないかもしれない。それに、何より、オリジナリティが重視される場面および分野では、提唱者以外の方が用いることは好ましくなく、受け入れられない。つまり、これが「超非モパラドックス」である。理論であるから、理論であるなら、万人に受け入れられなければならないはずなのに、誰にも相手にされないことになるのである。(ということでしょうか?)
 やはり、超非モ理論が、万物の理論(万人の理論)であることは、難くない(=超非モ理論)。


 そして、ここに人類史上最大のトリックの答えがあるのだろう。


 ということを、午前のCFDのゼミ中に考えていた。ふと思いついてから、絶対時間にして、上記の考えにまとまるまで数分、何分かであり、確かに、何らかのエネルギィが働いた、といえ、やらなくてはいけないこと=ゼミに参加すること、があるのに、別のこと=超非モ理論に対する考え、がはかどった、つまり、「逃避エネルギー」が働いたのである。
 ただし、この場合は、逃避による成果としては大きくなく、むしろ、微々たるものである(日記のネタにはなりました)。したがって、厳密には、「弱逃避エネルギー」というべきであろう。